東北の関西人

訪れた街の街並みを紹介します。

生きてます

お久しぶりです。結構更新の期間が開いてしまいました。

もう3月11日以来厄災続きです。

まず1つ目は、皆さんもご存知の通り、3月11日の14時46分に超巨大地震が発生しました。このとき私は自宅にいたのですが、正直建物が古いこともあって、このまま建物が倒壊して死ぬかと思いました。とりあえず建物は倒壊せず、自信が収まって即屋外に退避しました。屋外に出ながら携帯電話んのワンセグを見たら、震度7の大地震が起きたと知って唖然としました。どうせ携帯は繋がらなかったので、仙台市内の状況を見るため各所を周り、その後体育館で一夜を明かしました。大きな余震が頻発して体育館がガタガタ音を立て恐ろしい思いをしながら寝ました。ラジオやワンセグでの情報が入れば入るほど被害が悪化していき、翌日の町のガソリン不足・物資不足を見て、12日の夕方には原付で仙台から実家までかえる覚悟を決め、荷物をまとめて18時頃に出発しました。

 国道4号で福島に向かう途中で、ガソリンを販売しているGSを見つけたのでそこで並び、ガソリンを満タンにした後一気に白河まで進みました。そろそろガソリンが切れるなと思うとまた運良くガソリンが手に入り、東京まで行けました。東京をすぎるとガソリンはある程度手に入れやすくなっていました。

 そして2つめの厄災ですが静岡の由比バイパスで事故りました。仙台から少しでも早く帰ろうと、コンビニで少し休憩する程度で走り続けたためか疲れが溜まり、ボーッとしてしまってガードレールに突っ込んでしまいました。おそらく頭から突っ込んだためか頭以外は怪我をしなかったのですが、怪我をした頭の容態は、頭蓋骨にヒビが入り、眉毛のあたりの肉にメガネが食い込んで、肉がめくれて頭蓋骨が露出していました。
 事故の後、気がつくとガードレールの外側で横たわっており、ふらつきながら立ち上がってなんとかバイパスの車を止めて、その方に救急車を呼んでもらいました。救急車に乗った後の記憶はありません。そして入院しました。

 一応症状が思ったよりも早く回復したため4月にたい医院の予定でしたが今日退院できました。大震災では直接的な怪我をしなかったのに事故で大怪我をするとは本当に厄災続きです。頭の怪我ですが五体満足でいられる事・相手のいない単独事故だった事は不幸中の幸いですが・・・。


とりあえず何枚か仙台の震災当日の写真を載せておきます。

仙台市中心部は特に建物の倒壊はありませんでしたが、損壊している箇所は多々ありました。




青葉通りの様子です。多くの人が建物から避難していました。





仙台駅近くのビルです。ビルのコンクリート板が落ちていました。



そのコンクリート板が下のバス停を直撃していました。特にバスを待ってた人ががいなくて本当に良かったです。


SS30の屋上アンテナが折れてしまっていました。正直超高層ビル好きな自分にとってはかなりショックでした…。


震災当日の夜の宮城県庁です。街は停電で、主要な道路同士の交差点を除き信号は全て消えて街全体が真っ暗で100万人都市の仙台ではありえない位星が綺麗に見えました。

 そんな中、情報収集と対策に追われる宮城県庁が周囲が真暗な事もあって非常に明るく光っていました。

あと、写真は撮ってませんが仙台トラストタワーは自家発電装置のせいかビルには沢山灯りが灯っていました。普段は灯りが疎らなウェスティンホテル仙台ですがこの日だけはほぼ全ての部屋に灯りが灯っていたのが興味深かったです。

とりあえず今回はこのくらいにしておきます。もう最悪です。