先日PCがクラッシュしまい、修復作業に手間取っていました。クローンHDDの作成に成功したため、なんとか現状の修復ができました。いやはや...。これからはこまめにHDDのクローンを作っておきたいと思うこの頃です。
さて、今回は前回の続き、大島の風景です。
大島町の中心街にあたる道路、県道15号線です。この道が蠣浦島、御床島へと続いています。写真奥の橋は寺島大橋です。
西海医療福祉センターです。おそらく島で最も新しい施設かと思います。
西海医療福祉センターの向かいには西海市役所大島総合支所があります。かつては大島町時代の町役場でした。
隣には、大島町農産物直売所があります。現在は閉店しているようでした。
廃墟になりつつある建物です。
陰鬱な空気を感じます。
さらに、大島町農産物直売所の隣には炭鉱時代の炭住らしき団地が現れます。
かつて全盛期には2万人が住んでいた大島一帯ですが、閉山と共に6000人程度まで減少しました。現在は大島造船所によって島の雇用と経済が成り立っている状態です。
中心街から少し路地に入ってみます。
なにやらブロックで舗装された路地が現れました。ここを進んでみます。
タイルによる舗装がされている事から、かつては商店街の一部だったことを感じさせます。
この細い路地をさらに進みます。休日なのかどこも営業していません。
さらに進むと、大きな通りにでました。こちらは間瀬商店街です。しかし、この通りを歩いているときに誰一人とすれ違わなかった事に、不気味さを感じました。
下記ブログにこのような記述があります。
炭鉱・好景気の頃は、この通りが人で埋め尽くされ、流れに逆らって歩くのは無理だったそう・・・また、給料日の後などは、飲み屋にくり出した炭鉱マンたちであふれ、翌朝、通りをほうきで掃くと、一万円札が2~3枚落ちていたそうです。立ち寄った酒屋のご主人が話してくれました。
出典記事:
かつての繁栄を感じさせられます。それにしても資源を産出している場所では人々の羽振りが一段と良くなるのは世界共通現象のようです。
商店街はほぼシャッター通り化としていました。夜に営業しているお店は若干あるのかもしれません。
写真右のコンクリートの段には一区画ずつお店があったそうです。しかし、炭鉱の閉山と共に姿を消しました。
商店街を出ると大きなスーパーがあります。おそらく炭鉱の閉山と大型スーパーの出店によって商店街の活気が完全に無くなってしまったのでしょう。炭鉱時代からの栄枯盛衰が感じ取れる街並みでした。
次回は、炭鉱時代の跡が点在する蠣浦島の風景を紹介します。いつか別の記事として廃墟の探検をやってみたいと思いますので、次回の蠣浦島の紹介は町並みの風景とそこから見える廃墟にかんして記載しようと思います。