今回からはしばらく長崎駅の移転について写真を掲載していきたいと思います。
JR長崎本線連続立体交差事業
長崎市内のJR線の高架化ですが、正式名称は”JR長崎本線連続立体交差事業”と呼ばれています。
JR長崎本線は添付地図のように長崎市内を南北を貫くように位置しています。また、高架化前は線路が地表面にあるため、市街地が東西で分割されているようになっていました。
長崎県のホームページによると東西分断が町の都市圏全体の均衡な発展に影響を及ぼしており、これらを解消する目的があるとのことです。
なお、九州の県庁所在地では中心駅の高架化は早期から進められており、佐賀駅が1976年、宮崎駅が1993年、最近の例だと大分駅が2012年に高架化しています。福岡・熊本は言わずもがなです。鹿児島中央駅は地上駅に新幹線の駅がT字型に新設される形となっています。
確かに、普段の暮らしを見ていると、街の東西往来はあまり盛んではないかなと感じます。
ただ、元々JRと並行するように浦上川が南北を流れており、東西往来はバスの運行状況をみても殆どが稲佐橋・旭大橋に集中しているように感じます。
旭大橋・稲佐橋は元々踏切が無いため、今回の高架化に対する影響はそこまで無いと思われます。ただ、踏切の廃止に伴ってバス路線の見直し等が入る可能性もありますので、高架化による往来の障害解消の効果がどれくらい出るか要期待ですね。
長崎駅の移転
さて、JR長崎本線の高架化に伴い、新しい長崎駅は旧駅の場所から150m西側に移転しました。駅舎がここまで大胆に移転する例は全国見ても珍しい例ではないかと思います。
これは現在建設中の長崎新幹線との位置関係が影響しているのではないかと考えます。
以下の図は長崎市HPからの引用となりますが、将来新幹線は東側から宝町の国道をオーバークロスしてきます。勿論新幹線は高架です。
一方で、旧駅舎の位置に高架化した在来線を引き込むのは高架の新幹線と高架の在来線がほぼ同じ高さでクロスする構造になるため、ジェットコースターの様な高低差のあるコース実現の難易度が高かったと思われます。このため以下図の様な配置になったのではないかと思います。
今回は旧駅舎の写真を紹介していきたいと思います。
写真は旧長崎駅移転前の1週間前、そして移転前夜の写真について掲載していく予定です。市内の移動は基本バスで、長崎駅を使うのは博多に行く時くらいですが、今回の写真撮影のタイミングで、移転前の長崎駅を隅々まで見ることが出来てよかったと思います。
今回は主に、0番線~2番線の写真を掲載していきたいと思います。
旧長崎駅前の広場です。駅前広場自体は現在も健在です。
なお、駅前広場の将来予想を見ていると写真右の駅舎部分は取り壊されますが、広場を覆う屋根は残されるのでしょうか?完成予想を見ていると屋根のデザインが異なるため、一旦撤去されるかと思われます。(以下、西日本新聞リンク)
旧長崎駅の改札です。現在は改札は撤去され、ホームは新しい長崎駅入口の通路となっています。
駅ホームから改札方面の写真です。
3,4番線ホームから改札方面の写真です。線路終端に長崎駅の文字が見えますが、あまり目立ってませんね….。車止めに埋もれている感じがします。
2番線ホームの写真です。このあたりの屋根は鉄骨造りです。
旧長崎駅のホームです。ターミナル駅にふさわしく、幅の広いホームとなっていました。また、支柱には独特の装飾が施されていました。
2番線ホームを北上すると、1番線も現れます。写真右のホームは後述の0番線です。ここのホームの屋根は独特な鉄骨造りになっています。
旧長崎駅の先端から振り返ったホームです。このあたりは木造の駅舎が残っています。これらが取り壊しになるのは残念です….。
同じく1番線・2番線のホームです。こうやって見ると木造の屋根のトラス構造がとても美しく見えます。
旧長崎駅木造部の拡大です。
0番線・1番線の車止めです。
構造からして後付けされたホームと思われます。既に1番線が存在していたため、0番線になったのでしょうか?
ホームには0番線にキハ66系気動車、そして817系が入選していました。近日中に触れますが、最近ハイブリッド気動車のYC1系なるものが登場しています。国鉄型車両はますます少なくなってしまいます。
以上、旧長崎駅の0~2番線でした。次回は、3番線・4番線と旧長崎駅周辺の写真を紹介したいと思います。