以前した船の小話をまた挟んでみたいと思います。
今回の話は船と飛行機についてです。
船の小話2
船は古代エジプト時代には既に登場していましたが、飛行機が登場したのは1903年のライト兄弟の初飛行で約120年前と船と比較すると歴史は非常に浅いです。世の中に新しい物が生まれるとき、その物を説明するために、物・部品・概念を言語化する必要があります。
飛行機の場合、当時の主流であり、かつ飛行機と同じく長距離を移動する交通機関であった船から、多数の用語やしきたりが取り入れられました。
空港(Airport)は船の港(Port)から、客室(Cabin)も客船の客室から、また乗組員(Crew)も同様です。
飛行機に搭乗する時のチケットはBoarding passですが、Boardは船の甲板を意味し、Boardingで乗船を意味します。さらに船では左側をPort side、右側をStarboard Sideといいますが、飛行機でもこの呼称が用いられてます。
また、飛行機に搭乗するときは左側(Port side)から搭乗しますが、これは船を港に接岸させるときに左側(Port Side) を接岸させ乗船や荷役をする慣習があります。このしきたりが航空機にも受け継がれているため、搭乗は基本左側からとなっています。
保安設備も同じです。夜間に飛行機を見ると赤と緑のライトが点灯しています。船では右側に緑、左側に赤のライトを設置することで、夜間に相手の船がどの方向に進行しているか判別するために使用されますが、飛行機でも同じルールが受け継がれています。
出典:Wikipediaより
さらには、速度や距離の単位であるノットやマイルをつかう文化、機体をShipと呼ぶ慣習や、機長をCaptain(=船長)と呼んだりします。
最先端の飛行機にも、古来からの船での名称・習慣・ルールが受け継がれているのはとても興味深いですね。
小話と言いつつ話が長くなりましたが、長崎駅の記事に進みたいと思います。
長崎駅の移転
今回は、旧長崎駅の3番線・4番線そして付近の建物から見た長崎駅周辺の写真について紹介していきたいと思います。いずれも撮影日時は3月21日です。
改札を出たところからの長崎駅の眺めです。昔は国鉄の長編成の列車が停車していたのでしょうか。
3番線・4番線ホームからの写真です。
同じく3番線・4番線ホームからの写真です。そういえばこの旧長崎駅、私が長崎に引っ越してきてからですが、大雨が降った際に一度冠水したニュースを見た記憶があります。
旧長崎駅のホームに書かれた寝台特急暁の停車印の跡です。 そういえば長崎発着の寝台列車もなくなってしましましたね…。私の実家は関西なのですが、親戚が佐世保に在住しており、子供の頃に京都から佐世保までのあかつきに乗った記憶があります。今思うと、長崎行き列車の併結とはいえ、京都発>>佐世保行きの列車があったというのも驚きですね。
旧長崎駅のホーム先端から撮影した新幹線の高架です。橋桁が2段重ねになっていますが、現在この橋桁は宝町の国道をオーバークロスするように架かっています。
参考ですが、新幹線高架が架橋する前の宝町交差点陸橋からの写真です。現在は架橋が完了しています。架橋は夜間に行われ、その間この道路は通行止めになっていました。
今は駅の移転に伴い同じく留置線も移転しています。個人的には気軽にたくさんの車両を見れるスポットで好きだったのですが、移転後は留置線も高架になるため、気軽に見れませんね…。
近くの建物から撮影しました。写真奥では新幹線の高架工事が進められています。
先程の写真から少し引き気味で写真を撮りました。これらの後地が広場および新しい商業施設に生まれ変わります。
新しい長崎駅と白いかもめ、”黒い”かもめが停車しています。白いかもめはデザインがかっこいいですが、乗り心地があまりよろしくないです…。車内で携帯を開くと気分が悪くなってしまします。
奥側は供用直前の在来線長崎駅、手前が新幹線ホームの長崎駅です。